■倫理的意志決定に関する事例
事例2:漏水対応と設計監理者としての倫理的立場
引き続いた漏水トラブルでその原因が判明したが、発注者へ、そのありのままを報告すること無しに補修工事を終えた。
(1)経緯
長年にわたり庁舎、ホール等の設計監理業務を担当して好評を得ていたある地方自治体から、引き続いて委嘱された体育施設大屋根の漏水トラブルについてである。建設地が大規模公園の正面玄関となる位置にあり、そのデザインについて大きな関心と期待が寄せられた。計画にあたって、そのメインアリーナは講堂形式の多目的使用ではなく、市民のスポーツ活動専用とし、特に自然採光、自然換気による省エネ対策について配慮が求められた。
このため、アリーナの空間構成には種種の工夫を凝らし、自然光を取り入れる大規模なハイサイドライトと急勾配の大屋根とを組み合わせた架構とし、ハイサイドライトには大屋根の変形を考慮してカーテンウォールを採用した。大屋根は、ALC版を野地板として断熱性を確保して、屋根仕上げ材には当初金属板葺を予定していたが、将来この体育施設が公園全体のシンボルとなることから、発注者の承認を得て見た目に優しいアスファルトシングル葺に設計変更して発注され、竣工した。
竣工、引渡後間もなくハイサイドライトからアリーナ床面へ漏水が生じた。漏水発生が、主に多量の降雨と強風を伴う荒天時に限られており、ハイサイドライトのカーテンウォールの設置箇所が高所であることから、タイミングよく直接漏水を確認することが困難であった。また、散水実験を行ってもその原因が特定できず、長期にわたって漏水発生の度に試行錯誤的な対処を行う結果になった。最終的にカーテンウォール部材内のシーリング材の不具合による漏水であることが判明し、そのカーテンウォールメーカーによるシーリング補修を行って漏水は止まった。
この後、通常の降雨量にも拘わらず、大屋根からの漏水が発生するようになり、開催中の競技会の一時中断等により、施設の運営、活動に多大な支障を与えることになった。急勾配の大屋根から漏水はありえないとする固定観もあって、漏水発生の都度応急処置を施したが、漏水は止まらなかった。この処置を行うにつれて、その原因が野地板であるALC版の一部に撓みが生じて、これがALC版ジョイント部で屋根材であるアスファルトシングルを切断して生じたクラックによると判明した。
(2)問題の認識
当時、建材メーカーの受注競争が激化していたこともあり、使用する主要資材の仕様、工法等について万全を期して設計をまとめ、必要とする技術水準の担保を図ってきた。従って、カーテンウォール、ALC版の双方が、設計を取りまとめる段階で協力を得たメーカーと、施工を担当するメーカーが異なる決着となったが、トラブル発生の可能性は予想することはなかった。
そのトラブルの最初がハイサイドライトのカーテンウォールからの漏水であった。工場検査時には水密試験等を行い所定の性能達成を確認したが、シーリングの不具合を指摘することはできず、これが最初の漏水発生の原因となった。
引き続いてALC版からのトラブルであった。その原因は、十分に強度が発生しないまま工事現場に搬入され、取り付けられたALC版の撓みによるものであり、本来ならばこの段階で、ALC版全てについて撓みの有無を調査して、その結果を発注者へ報告すべきであった。漏水箇所が一定範囲内で、拡大していなかったことから、強度不足のALC版は一部に限定されているものとして、報告を行うことなしに補修方法の検討を進めた。そして補修工事は、既設のALC版及び仕上げ材アスファルトシングルには極力触れることなく大屋根全体を金属屋根材で覆う方法で、この施設を閉館することなく終了した。
ハイサイドライトからの漏水により、既にこの施設の運営、活動に与えた支障は大であった。さらに、ここで発注者にALC版の不具合を報告して全面的な検査を行うことになれば、その結果一部であれALC版全般に対する不安をいたずらに増大させかねないことが危惧された。
この結果、設計監理業務を受嘱した設計組織として、議会筋等からの問責、新聞等の報道によって、長年培ってきた発注者からの信頼が決定的に喪失してしまうばかりか、周辺自治体への受注活動等への影響が強く懸念された。また、設計監理担当者である個人としては、所属する組織から設計能力及びキャリア面の評価ダウンを受け、この後は設計担当の機会を失う恐れがあった。業務を受嘱した組織、担当した個人、発注者、それを取り囲む社会との関連で相克するところについて躊躇しながら、最終的には報告義務を果たすことなく補修工事の実施を選択した訳である。
(3)放置した場合、現在或いは将来に予想されること
補修工事後に新たな漏水発生の情報が無いことから、一応所期の目的は達成できたものと考えているが、大型地震発生時のALC版について懸念が払拭できない。ALC版が崩落する事態はまず起こりえないにしても、ALC版自体あるいは接合部からの一部剥離、破損、落下によるアリーナ使用者への事故が否定できない。また、震災時の緊急避難場所としての適性が問われ、使用できなくなる事態もあり得る。
(4)当該案件の具体的対象法令と罰則規定
今後、新たな漏水発生やALC版の破片落下によってその強度不足が露呈した場合、工事発注者、建物管理者である自治体から、瑕疵担保責任、不法行為に基づく修補、損害賠償請求が、また落下物による人身事故に対して損害賠償、慰謝料請求が想定され、設計監理者として相応のペナルティが課せられることになる。
(5)解決のポイント
迅速に、かつ確実に漏水を止めて信頼を回復すべきであったが、設計監理を担当した個人として、所属する組織、工事関係者との関わりの中で実施してきた補修工事とその経緯は以上の通りである。発注者へありのまま報告することで、各方面から様々な反響を受けることになり、解決に要する時間的、経済的な損失と、営業的、経営的な負担を恐れた訳であったが、設計監理者としての報告義務を果たさずに今後に懸念を残す結果になり、良質の公共財産を形成していく職能の点からも悔やまれるところである。