■倫理的意志決定に関する事例

 

事例3:大手ハウスメーカーの住宅に類似したデザインを施主から依頼

 

 


(1)経緯
ある晴れた休日の午後に住宅展示場で1軒の展示住宅を外から見つめる家族Aがいた.Aはこの展示住宅の外観デザインが大変気に入り,早速,展示住宅の中へと足を向けた.この住宅は大手ハウスメーカーが手がけ昨年度のG賞(機能面を重視した作品に与える賞)に輝いた主力商品であった.住宅内部では営業マンに案内され展示住宅を隅々まで見学し,この住宅の工法,特徴の説明を受けた.Aはこの住宅のデザイン,コンセプトに感銘を受け,住宅建て替えの意志があることを担当営業マンに伝え,その展示住宅を後にした.


次にAが訪れたのは,同じ住宅展示場内の地場工務店が出店している展示住宅であった.Aはその展示住宅の外観デザインにはあまり感銘を受けなかったが,その工務店がうたっていた「地域に密着した万全のアフターサービス」という営業方針が気に入った.工務店の営業マンに住宅建て替えの意志はあるが,そちらの住宅のデザインに興味を抱かない旨を伝えた.工務店の新人若手営業マンEは,当社の方針は,施主の要望に叶った住宅を設計し,様々な建材を扱うことができるので,大手ハウスメーカーと似た外観デザインでも対応可能である旨を営業トークとして伝えた.


後日,Aに大手ハウスメーカーから,早速,訪問の問い合わせがあった.Aは建て替えの意志を示しており,その展示住宅が非常に気に入っていたので,訪問を受け入れた.大手ハウスメーカーの営業マンと設計者がAを訪問し,敷地の状況をくまなく確認し,設計に関するインタビューを行った.そこでAは,とにかく展示場のモデル住宅の外観を再現したい要望と,Aの敷地が若干小さいので,敷地にあった間取りに変更して欲しい要望を伝えた.


数日後,大手ハウスメーカーの営業マンと設計者はドラフトプラン・外観パースと概算見積もりを持って,再度,Aを訪問した.Aは提案された外観パースが大変気に入りプランと設備もAの要望通りで満足のいくものだった.ところがAは概算見積もりを見て驚いた.それはAが当初想定していた額より2割以上も高い金額になっていた.Aは,この金額では大幅な予算オーバーとなり契約することができない旨を伝えた.営業マンは,1つグレードの下がるシリーズに変更すれば,2割程度コストダウン可能との旨を伝えた.そのシリーズはどこのハウスメーカーにもあるような外観であり,当然Aの満足のいくようなシリーズではなかった. Aは落胆の色を隠しながら,この案で検討して,後日結果を連絡すると伝え,その場を引き取ってもらった.


落胆したAは,不意に住宅展示場で訪問した地場工務店のことを思い出した.その工務店からは住宅展示場訪問以来,数度の電話連絡があったが,その都度,そちらの展示住宅に興味が無いことを伝えていた.あのとき営業マンEが言った「大手ハウスメーカーと似た外観デザインでも対応可能である」との言葉を思い出したのである.早速,Aは地場工務店に話を伺いたいとの連絡を入れた.


Aは営業マンEに大手ハウスメーカーとの経緯をドラフトプラン・外観パースと概算見積もりを提示しながら説明した.Aは住宅展示場で見た大手ハウスメーカーの外観デザインをどうしても予算内で実現したい旨を吐露した.営業マンEは自社の参考プランを提示して,Aに自社プランの意向を確認したが,Aは頑として譲らず,その外観デザインが実現出来ない場合は,建設しないとの意向を伝えた.営業マンEはとりあえず検討する旨を伝え,そのドラフトプランと外観パースを会社に持ち帰った.


営業マンEは,そのことを所長Sに伝えた.所長Sは,その地場工務店で設計畑を歩んできており,元々設計業務をこなしていたが,現在は,工務店の経営に携わる立場になっていた.

 

話を聞いた所長Sは,模倣行為に該当すると直感した.しかし,所長Sは大まかな設計はできあがっているし,後は,コストの折り合いをつければ良いだけなので,プロジェクトとしては,簡単に進みそうであることを,経営者の立場として考えた.所長Sは,営業マンEにこのプロジェクトを実現させるようにユーザーAの要望を受け入れる旨を伝えた.営業マンEの営業成績に繋がることも付け加えた.早速,所長Sは,設計者DにユーザーAの要望を受け入れ,営業マンEと共にこのプロジェクトを遂行するように指示した.

 

設計者DはAの要望を実現することは明らかな模倣行為であり,さらにそのモデルハウスは昨年G賞を受賞しており,業界内から大手ハウスメーカーの模倣との批判を受ける可能性があると指摘した.所長Sは,それには耳を傾けず強い口調で設計者Dにこのプロジェクトを遂行するように指示した.しかし,設計者Dは,このような模倣行為は法律的判断が難しいところがあるが,倫理上の観点から許されない行為であり,設計者として断固引き受けることはできないと突き放した.また,設計者Dは,自身の設計に誇りを持って取り組んでおり,ユーザーに満足して頂く自信があるので,所長Sにこちらのオリジナルプランを設計してAの納得するプランを提案したいと訴えた.所長Sは,設計者Dの高潔な倫理観と熱意に心を打たれ,オリジナルプランを提案するように指示し,ついで経営者としての立場にとらわれ,本来の設計者(技術者)としての倫理観を欠如していたことに気付き心が沈んだ.


設計者Dは,オリジナルプランの設計に取りかかり,提案図面と外観パースを完成させた.設計者Dは営業マンEを伴いAを訪問した.Aに会い,まず設計者Dは,倫理上,大手ハウスメーカーのプランを模倣して設計・施工することができないと述べた.そして,オリジナルプランを披露し,そのデザインコンセプトを説明した.当初,Aは憮然とした表情で対応していたが,設計者Dの熱弁とデザインコンセプトに傾聴していった.


後日,Aから営業マンEに連絡があり,そちらのオリジナルプランで住宅の建て替えをお願いする旨の連絡があった.Aは同時に,模倣の強要を詫び,自身の倫理観の欠如を恥じていることを伝えた.結果的に,設計者D及び営業マンEは住宅の受注を受け,営業マンEの営業成績に貢献することとなった.

 

 


(2)問題の認識
所長Sは,悪いと知りながらも経営者の立場として営業成績の向上という目先の利益のために,模倣を受け入れてしまった.しかし,今回は,設計者Dに諭されて倫理上の問題から回避できた.

 

 


(3)放置した場合,現在あるいは将来の予測
今後,ユーザーの要望により模倣を許容して模倣住宅が増加すれば,設計者としての誇りを失ってしまうことになり,優れた設計者の出現も損なわれることになる.設計者の育成にも禍根を残すことになるだろう.

 

 


(4)当該案件の具体的な対象法令と罰則規定
一般住宅がオリジナリティを発揮できるには,設計者(建築家)の思想や感情と言った文化的精神性を感得せしめるような芸術性若しくは美術性を備えた場合となり,一般住宅の模倣における法律的判断は難しいところがある.しかし,模倣には必ず倫理上の問題が存在する.

 

 


(5)倫理的意志決定のポイント

今回の事例では,設計者の高潔な倫理観から模倣という行為を防止できた.さらに,倫理観と設計行為に対する熱意を示すことで住宅の受注まで得ることができた.現実には,このような結果にはならず,受注を得ることができないかもしれない.しかしながら,ユーザーからの倫理的に不合理な要望に対して毅然とした態度で突き放すことも,設計者(技術者)には必要である.また,経営者と技術者の2つの立場に置かれている状態では,決断に迷うかもしれない.それでも,あくまで公衆の保護を最優先して決断を下すべきである.倫理的意志決定を下すことは,あるときは業績的にほろ苦い結果になるかもしれないが,技術者が倫理観を失うことは,この先の社会を暗闇に追い込むことに繋がるであろう.法律的判断が難しいからと言って全ての行為が許される訳ではない.まさに技術者の倫理観が問われる事例である.